DECAGON



エピローグ



ホームページにエピローグ が在るのも、おかしいのですが、、、

 「坂井さんは、だれが師匠ですか?」と時々、訊かれることがある。
誰だろうなと、少し考えたあと、キザかなと思いながらも「教会とイタリア料理かな」と言う。
「教会とイタリア料理!、ビソロッティとかモラッシーじゃーないんですか!」

 多くのクレモナで修業した日本人製作者は、すぐにビソロッティかモラッシーまたは、その愛弟子に習ったと誇称する。名前を出されたマエストロも宣伝効果で喜ぶ。
300年前の偉大なマエストロたちには、こんなに多くの弟子はいなかったであろう。
クレモナの黄金期の真髄を理解しようとする事も無く、表面的な知名度でやって行こうとしている現代の製作者たちを見ていると、なにか方向を間違えている様な気がする。一つには、マスコミや商人の責任もあると思うが、本人の職人でいると言う事への意識の低さから来るのかもしれない。

 また、よく製作者のブログで製作過程を、小学生の絵日記みたいに載せている。確かに宣伝効果はあるのかもしれないが、職人は、製作過程の試行錯誤を明かさないのである。
レオナルド ダビンチやストラデヴァリも多くの下図や、デッサンがある。後世の人々が発見して騒ぐのはよいが、彼らは、他人に見せる為に残したのでなく、隠していたのである。

 30年近く前に、パリの職人街で年老いた金箔の仕事をしている職人に会った時に、「宣伝になるから写真を撮らせてくれ」と言ったら、「宣伝に使うならヤダ」と断られた。「職人には宣伝はいらない。 金にはあまりならないが、何とか喰っていける。宣伝して変な所からも注文がきて、増えすぎたら困るじゃないか。 絶対に仕事が落ちる」と言った。





 クレモナの町には30以上の教会がある。
その一つ一つの教会建築の中に、それなりの絵画や彫刻があり、ステンドグラスから入る本当の自然光が、薄暗い中で、それらに存在感を与えている。

静けさの中で、遠くの老婆の口ずさむ祈りがドームの天井を伝わって聞こえて来る様な、錯覚を起こす。

少し湿った空気の中に、長い月日にわたって薫かれた香木や薫香樹脂の香りが、教会ごとに皆違うので、目を閉じても、どの教会に居るか感じられる。

夏の触れられないほど焼けた大理石の壁を通り抜けて、教会に入った時に、涼しさがこんなに神聖であったのかと感じる。
(エヤコンでは感じないのに! エヤコンのコピーライトに"神聖を感じる涼しさ"何ていうのは不謹慎ですね)


 ユーロになって残念に思うのだが、一万リラ札の肖像にアレサンドロ ボルタ伯と言う人がいた。ご存知のとおり1800年、ボルタ電池の発明者で、彼にちなんで、電圧はボルトと言う単位を使う。一般には、希硫酸の溶液といわれるが、私の独断では最初はレモンであったと思うのであるが、これに入れた銅板と亜鉛板が持続した電流と電圧を持つ事を発見した。二千リラ札にいた長距離無線通信の発明者(実用化?)マルコーニと、彼なくして、現代の文化的生活は考えられない。

  

アレサンドロ ボルタ(Alessandro VOLTA)の無線通信100年祭の記念切手とボルタ電池







マルコーニ(Gugliermo MARCONI)の1974 年生誕100年祭記念コイン





マルコーニ(Guglielmo MARCONI)の2000リラ紙幣

1896年の発明当時、イタリアでは無線通信の有用性は、まったく認められなかったが、船舶無線通信の実験により評価される
(電磁波通信自体は、1887年にすでにヘルツがおこなっている。 また、イタリアにおける彼の評価はファシスト政権による過大評価の部分もあるかもしれないが、、、)

クレモナのヴァイオリン製作学校はマルコーニを記念したマルコーニ広場にあった




 イタリア料理は、非常に伝統的であり科学的である。
昔、イタリア人のコックの友達が銅の大鍋でトマトソースを作ってくれた。私は味見をしようとステンレスのスプーンを入れようとしたら、すごく怒られた。「何で」と訊いたら、「お祖母さんが酸っぱいトマトソースには木ベら以外は入れては駄目だといつも言っていた」と言うのだ。伝統とは、理由は解からなくても、一つの科学が生きている事であると思う。
(勿論、鍋やスプーンが傷むのではなく、トマトソースが電位差で変質するからである  またトマトソースはホウロウ鍋が一番良いと思うが、、?)



 現代のクレモナの弦楽器製作は、過去に何が素晴らしかったのかを考える事無く、過去の栄光を謳っているだけで、伝統も真髄も生きていない。
しかし、これは仕方のない事かもしれない。ストラデヴァリはこの様になる事を、意図して正十角形からの作図法を握り潰した。そう考えると、ストラデヴァリは凄い経営戦略の持ち主である。この作図法を伝えなければ、自分以後の製作者は、寸法や形をコピーするだけになり、自分が頂点になり続けると、、。

 幸か不幸か私は、現代のクレモナの製作法に疑問を持ち、クレモナの黄金期のマエストロたちの楽器をもう一度原点から見る事で、この正十角形からの作図法や製作理念に気がついた。しかし、ストラデヴァリが、ある意図を持って次の世代に伝えなかったとすると、私がこれらを明かす事は、はたして良い事なのか長い間悩んだ。

5,6年悩んだ末、いつか誰かが考え付くだろうし、弦楽器製作の再出発、復興は早い方が良いと考えた。



―感謝の言葉―
 現代のクレモナの製作法に疑問を抱かせ、私に正十角形からの作図法を考えさせるキッカケを与えてくれたのは、広島に住む先輩の製作者天野千尋さんである。
1982年に、彼との出会いが無かったら、私も、古いイタリアの弦楽器を理解、研究している様な顔をして、過去の巨匠の型をせっせとコピーするだけの製作者になっていたと思う。





―補-
ストラデヴァリは、ストラディヴァリの表記間違い?

 私は、拙著やこのHPでもStradivariをストラデヴァリと表記している。
確かにStradivari はストラディヴァリの方が正しいが、
クレモナに住み文筆業も営む大先輩の製作者石井高さんもブログの中でStradivariをストラデヴァリと書かれている。
イタリア旅行情報サイトJAPAN-ITALY Travel On-lineイタリア世界遺産の旅 ジェノヴァ  の中で旅行作家の牧野宣彦さんもStradivariをストラデヴァリと書かれている。
(但し、本文のストラデヴァリは、グァルネリ デリ ジェスと思うのですが)


これは、日本語には強いアクセントはないが、原語の発音では強いアクセントの位置がヴァの所にある為に、ディ(DI)が非常に詰まった感じに聞こえるので、どうしても日本語のディではないような気がする為であると思う。
(勿論、デではないのだが、、)


マルコ ビソロッティ著「クレモーナにおける弦楽器製作の真髄」の名訳者、川船緑さんは、表題にもあるようにCremona、Stradivariを原語のアクセントの位置を意識して、あえて、クレモーナ、ストラディヴァーリと表記している。
日本語は、アクセントのある固有名詞をなるべく平らに発音させる。

昔、ローマ駅の切符売り場でCremonaをクレモナと何度言っても解ってもらえず、やけになってクレモーナと言ったら切符を買えたのを覚えている。




 また、文部科学省は昭和二九年の国語審議会の報告「外来語の表記について」でviolinを普通名詞なので濁音のバイオリンと表記するように奨励してきた。そのため出版の分野ではバイオリンが正しいのかもしれないが、平成三年の新しい答申『外来語の表記』に「慣用を尊重することを基本的な方針とする」とあるので、あえて拗音のヴァイオリンと表記した。
(上記の報告では、Stradivariはストラジバリと書く)

固有名詞のBerlinとVeniceまでもが共にベルリン、ベニスなのはどうも好きではない。
BとVは、RとLと同様に、まったく違った発音であると思う。
外国語を外来語として国語化すると言う難しい問題ではあるが、日本人の国際化、英語教育の充実を叫ぶ中、BとVを共に『ベ』にして行こうとする事は、良いのであろうか。
これが、日本人が西欧諸言語の発音に弱い一つの理由ではないだろうか。


イタリアの製作学校に通っていた頃、ソルフェージュの時間に、日本人の同級生が
do-LE-mi-PHA -sol -RA-SHI-doと歌った。
私は可笑しく感じなかったが、外国人はみな大笑いしていた。




 



【インターネット上の検索エンジンの問題から、表記揺れとなりますが、一部のストラデヴァリを、ストラディヴァリに変更いたしました 2014年10月】

SAKAI Yoshinori の拙著及び楽器は、有名楽器店、優良弦楽器専門店に御問い合わせ下さい。







本(ヴァイオリンのF孔)の紹介

ヴァイオリン作りの独り言

著者の弦楽器関係拙作フリーウェアプログラム+アルファ

ヴァイオリンを選ぶ時


続ヴァイオリン作りの独り言(51~60)


ストラデヴァリの内枠に見る絡繰 Ⅰ

ストラデヴァリの内枠に見る絡繰 Ⅱ

ストラデヴァリの内枠に見る絡繰 Ⅲ

ストラデヴァリの内枠に見る絡繰 Ⅳ

ストラデヴァリの内枠に見る絡繰 Ⅴ





HOME


E-MAIL を送る



(C) Copyright DECAGON 1986 All Rights Reserved.