DECAGON
著者略歴
坂井克則(さかい よしのり)
1951年
群馬県に生まれる、横浜市立大学商学部卒業後、ヴァイオリン製作を3年間日本にて独学。
1982年
渡伊、同年ロンバルデア州立弦楽弓製作学校入学。
1984年
ロンバルデア州立弦楽弓製作学校卒業、同年クレモナのヴァイオリン製作学校(I.P.I.A.L.L.)入学。
同校在学中、1987年、第1回 ソフィア(ブルガリア)国際弦楽器コンクールにて『最も美しいビオラ』という特別賞を受賞。
同校在学中、1988年、第8回 アメリカ ヴァイオリン協会(VSA)主催の国際ヴァイオリン製作コンクール ヴィオラ部門にてクラフトマンシップ第二位を受賞。
1988年
同校を卒業。
1989年
第2回 バベーノ(イタリア)弦楽器製作コンクールにて、ヴィオラ部門第1位。同年イタリアの労働許可取得
1993年
第4回 同コンクールにて、セロ部門第2位及び音響の最優秀賞を受賞。
クレモナ在住
母の実家が材木屋だったので、子供の頃、丸太の小口に落書きをしたり、製材用の大型バンドソーから出る色々な大鋸屑を集めて木の香りを嗅いだり、木っ端をもらって集める事が好きだった。
こんな収集癖のせいか、12歳の頃より民族楽器の収集に芽生え、一般的な楽器は勿論の事、シタール、タブラ、プンジ(コブラ使いの笛)、ケーナ、シクーリ、アナタ、ドムラ、胡弓、琵琶、チャルメラ、果てはガソリンスタンドでドラム缶を買って自作したスチールドラムにいたるまで50種以上のゴミを集め、いつの日にか、私設の楽器展示館を作りたいと馬鹿な夢を見ていた私が、集めた楽器の一つに古道具屋で買った魂柱の倒れた鈴木のヴァイオリンがあり、それを立てる事から製作の道に入ってしまった。
あの時、魂柱が倒れていなかったら私は製作者になっていなかったかもしれない。
今までに製作した弦楽器のF孔を1つずつ取っておいた物 まだ400個位しかない
もしもストラディヴァリもF孔の切りくずを残していれば楽器の真偽も簡単に判明したかも知れない。
1978年、独学でヴァイオリン製作を始める
1989年、ラーゴ マジョーレ観光局長Cairati氏と
1993年、国際コンクール審査委員会のメンバーである、ハンガリーのマエストロ Tibor Semmelwais氏と
母と 1953年
父と 1956年
榛名にて 1956年
羽田にて 1957年
湯沢にて 1958年
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本(ヴァイオリンのF孔)の紹介
ヴァイオリン作りの独り言
著者の弦楽器関係拙作フリーウェアプログラム+アルファ
ヴァイオリンを選ぶ時
続ヴァイオリン作りの独り言(51~60)
ストラデヴァリの内枠に見る絡繰 Ⅰ
ストラデヴァリの内枠に見る絡繰 Ⅱ
ストラデヴァリの内枠に見る絡繰 Ⅲ
ストラデヴァリの内枠に見る絡繰 Ⅳ
ストラデヴァリの内枠に見る絡繰 Ⅴ
ストラデヴァリのギターにも正十角形は生きる
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