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ストラディヴァリ、グァルネリの死後

 ヴァイオリンは作られていない



   副題  『ヴァイオリンと能面の中の非対称』






 極端ではあるが、ストラディヴァリ(Antonio STRADIVARI)、バルトロメオ・ジュゼッペ・グァルネリ(通称 Guarneri del Jesu)の死後300年近く真のヴァイオリンは作られていない。
みんなヴァイオリンらしき物を作って来ただけである。

カルロ・スキャビ(Carlo SCHIAVI)、フェルディナンド・ガリンベルティ(Ferdinando GALIMBERTI)、ジュゼッペ・オルナーテ(Giuseppe ORNATI)、カルロ・ビジャッキ(Carlo BISIACH)、シモーネ・サッコーニ(Simone SACCONI)も真のヴァイオリンは作れていない、ましてや現代のクレモナの製作法を指導するマエストロ、ジオ・バッタ・モラッシー(Gio Batta MORASSI)やフランチェスコ・ビソロッティ(Francesco BISSOLOTTI)も真のヴァイオリンは作れていない。何故ならば現代のクレモナの製作法はストラディヴァリ、グァルネリの「融和のある歪みを求めたい」と言う考え方から、まったくかけ離れているからだ。

この様に書くと、クレモナを通俗的に聖地として売りにしているマスコミや楽器商、クレモナを闇闇とメッカとして崇めている製作者や演奏家から非難されるであろう。  しかし、私は上記の楽器が商業的価値が無いとか、製作法が間違っていると言っているのではない。
(間違ってはいないが、現代のクレモナの製作法は、重要な点でストラディヴァリ、グァルネリの時代と異なり最も大切な心意気を継承していない、、)

300年以上も、真の作図法だけでなく製作理念も考える事無く、線対称を基本とした模作に終始して来た事にヴァイオリン製作の悲劇がある。
クレモナに住む日本人製作者のブログにもある様に、グァルネリの原寸大の写真から片側半分をコピーしてそれを中心線で線対称に写し、f孔も線対称に配する事で真の美しいヴァイオリンの形が出来たと思い込んでいる。

実は、私もこの様にして、クレモナの製作学校在学中から多くのコンクールに出して入賞してきた。  しかし今はその入賞経歴など何の意味も無いと思っている。何故ならば、コンクールの審査委員たちも、美しい楽器とは完全な線対称でなくてはならないと言う思い込みからの基礎基準があり、まったく真のヴァイオリン製作を理解していないと解ったからだ。

 拙著にも書いているように『完璧な線対称な物は、荘厳で崇高ではあるが冷たさを感じさせ、 調和を持った非対称な物は暖かさや安らぎを感じさせる。(人間の顔とおなじように! 他人の顔の輪郭や目が非対称だからと言って不自然さを感じるだろうか、自分の顔写真の半分に鏡を当てて見て、その像に人間らしさを感じるだろうか)
 これが350年以上前の著名な製作者の楽器が、私たちを引き付ける理由のひとつである』      

  



アンリ・ド・トゥルーズ・ロートレック《テーブルの若い女(白粉)》 1887年
ファン・ゴッホ美術館

糯(もちごめ)のおしろいや、若い女(ロートレックの婚約者スザンナ・ヴァラドン?)の顔の歪みの中にモンマントルのカフェやモデルとして働く人間模様を感じるのは私だけだろうか?
素晴らしい歪みが表現されていると思う




     



ファン・ゴッホ《農婦の頭》 1885年
ファン・ゴッホ美術館

農婦の顔の歪みの中に働く人間の力を感じる
これも柔らかい素晴らしい歪みが表現されていると思う







ファン・ゴッホ《アゴスティ-ナ・セガトーリ》 1887年
ファン・ゴッホ美術館

カフェ、タンバリンのイタリア系女主人アゴスティ-ナの人生が歪みによって表現されていると思う

背景に浮世絵が見られる
ファン・ゴッホは浮世絵や日本の美術に強く影響され、1887年の春にこのカフェ、タンバリンで展示会を開いている



上の絵画の写真は、トリミング及びレンズの収差が在り、10Kバイト程度に圧縮していますので正確な絵画の写真を観たい方は、下記のホームページ http://www.ne.jp/asahi/art/dorian/G/
Gogh/Gogh.htm
でご覧ください。








 私は15歳の時、仏像を彫りたくて木彫を習いだした、しかし日本画も習っていたせいか胡粉で彩色する派手な能面にも興味を持ち師匠に内緒で若女(わかおんな)の面(おもて)らしき物を打った事がある。(彫る事を打つと言う)
初めは能面とは完全な左右線対称であると思っていた。
ところが能面は僅かに非対称なのである。この僅かな意識的に組み込まれた非対称が、表現力の無限さを創り、能面の素晴らしさであると感じだした。半分をコピーして完全な左右線対称で打つと単なる仮面やマネキンの顔であり、能の面(おもて)にはならない。






若女(わかおんな)の面(おもて)

左右線対称の様に思えるが、生きた人間の顔と同じく僅かな歪が隠されている







 ヴァイオリンは能面と非常に似ている。

面の古作(特に室町時代に打たれた本面)はオールドヴァイオリンと同じく非常に珍重され、古く少し歪んだり、塗りが荒れていようが、新作(現代の写し)にはない時の流れが醸し出した価値や多くの心酔した愛用者の汗の歴史がある。
この歴史は人工的には絶対に作り出せない。
そして、この価値と歴史のために両者の古い作品は素晴らしい修復が行なわれてきた。

両者の古作には、素晴らしい融和のある歪みがあり、線対称の様であるが調和の中で非対称である。

また、両者の新作はどちらも古い形の模作であり、大きさ、形、彩色ともに勝手に変える事はできない。先人の偉業が総てを支配する。

そして両者の工作法も軟材の木塊からフクラミの形成と裏彫りによって立体的に薄く削られ、小さな孔が開けられ、そして天然素材による何回もの重ねられた塗りと磨き出しが行われる。

膠も、面では顔料の展色、固着剤ではあるが、両者にとってなくてはならない製作素材である。

面はそれ自体では未完成の芸術作品であり、これをシテが着て曲の中で一体化する事によって完成された物となる。(かぶる事を着ると言う)
ヴァイオリンも、肩と顔で挟んで楽器が演奏家の一部となって心を表現する事で主目的の『音を出す道具である』と言う事が成し遂げられる。  いや一部ではない、演奏家もヴァイオリンと一体化する事で、面の中に入り込み面の人物となったシテと同様に、幽玄な喜怒哀楽を表現できる。








ニコラ・アマティ《HAMMELRE 1658 》 
クレモナ  市庁舎

ヴァイオリンの形の先駆者であるアンドレア・アマティやアマティ一族も「融和を持った生きた歪み」を大切にした








グァルネリ・デル・ジェス ヴァイオリン《CANNONE 1742》
トリノ市庁舎

グァルネリの歪みは非常に強く個性的であり、ある意味では「調和の中の非対称」がストラディヴァリより生きている








ストラディヴァリ ヴァイオリン《MEDICI 1716》 
フィレンツェ








ストラディヴァリ ヴァイオリン《CREMONESE 1715》
クレモナ  市庁舎

総てのストラディヴァリの楽器は、必ず左右で歪みが在り、「調和の中の非対称」が生きている
製作理念、及び製作技法においてモラッシーやビソロッティの楽器とは正反対である

歪が有るのは解っていたが、なぜ有るのか300年以上も総ての製作者が中心線による模作に囚われて、製作技法上の未熟、発展段階上の未完成やヴァイオリン本体が持つ固有振動数を殺して多くの周波数に共鳴しやすくする為に意識的にした音響上の共振モードの多元化からこの歪が来ていると思い込んできた事に、根本的な間違いがある。


クレモナの歴史については、
『ヴァイオリン作りの独り言の 8 ヴァイオリンとクレモナ』
を参考にしてください。






 ストラディヴァリは、ヴァイオリンの中に「融和を持った生きた歪み」を、私の考える『正十角形の中の黄金分割』を使って生涯求め続けた。
現代のマエストロ、 モラッシーの指導するクレモナの製作法ではまったく正反対に、この歪みによる非対称を排除する事が第一要件で、これを実現する為に古作の片側半分を中心線で振り線対称にする。
価値観がまったく反転してしまっている。

この私見は、一部の外国人製作者の興味を引く考えとなって来ているが、クレモナに住む日本人製作者たちには、まったく受け入れられていない。
何故ならば現代のクレモナの製作法を賛美し、クレモナでマエストロ、 モラッシーやビソロッティ及びその愛弟子に製作を習ったと言う事を売りにしているからだ。

もしかして、10年後位には『正十角形の中の黄金分割』を基にした「融和を持った生きた歪みを求める」、「調和の中の非対称」と言う事が製作者の常識になり、そしてその時ストラディヴァリやグァルネリと肩を並べる事の出来る楽器が作られ、新作楽器の価値観が、ひっくり返るかもしれない。

それとも、ゴッホの絵と同じて、私の生きている間は異端すぎて中世のチェンニーノ・チェンニーニの「芸術の書」やガリレオの地動説のようにまったく認識、評価されないかもしれないが、種を蒔いたと言う事で十分かもしれない。



「融和を持った生きた歪み」については、
拙著『ヴァイオリンのF孔の導入部』
及び『ヴァイオリンを選ぶ時の 8番 F孔の穴の位置とキリカキ』
『ヴァイオリンを選ぶ時の 11番 3本のラインの平行性』
を参考にしてください。



「正十角形の中の黄金分割」については、
拙著『ヴァイオリンと黄金分割の一部抜粋』
を参考にしてください。




 非対称が大切だからと言って、オールド楽器の左右の歪やf孔の差異を完全にコピーすればストラディヴァリやグァルネリと同じ様に名器になると思わないで欲しい。
ゴッホのヒマワリの絵を完全に模写しても名画にはならないし、絵画コンクールに出す画家はいないだろう。
また故意にオリジナルな非対称を入れて作ったからといって、名器にはならない。
何故ならば、製作手法からの自然に、しかも必然的に出来る調和の中の非対称だからである。





尚、少し誇張しイメージではありますが、下図でf孔に関しての「調和の中の非対称」とはどの様な事か簡単に説明しておきます。




f孔が中心線から左右対称にとられている(外郭にはまったく関係なくf孔がデザインされる)
荘厳ではあるが 冷たさを与える





F孔が左右の歪んだ外郭からとられている(右のF孔は外郭に合わせてより傾斜する) 
調和の中の非対称が生きて、暖かさを与える。

人間の顔と同じように、、



発芽率1%でもいいから、セミナー(種蒔き)した事に意味があると思っている。
しかし、発芽には、水、土、太陽(温度)が必要であるが、、、。



現代におけるヴァイオリン製作上での『融和を持った生きた歪み』の求め方、『調和の中の非対称』の内在のさせ方については、次の題で、、、




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ストラディヴァリの内枠に見る絡繰Ⅰ

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ストラディヴァリの内枠に見る絡繰Ⅴ




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